#author("2017-04-07T23:55:47+09:00","default:authuser","authuser") RIGHT:&size(16){GG Lab.}; &size(11){by [[GGAO>http://www.ggao.info]]}; ~ *&size(15){Terres Inconnues:Cartographies of a Landscape to Be Inventedのメモ}; [#tcd2958e] ~ ~ #ref(october115_cover.jpg,nolink,left,around) アンソニー ヴィドラー(Anthony Vidler)著 (October 115 MIT Pess Journals; issue 115 edition (January 1, 2006) ISBN13:978-0262752657 pp. 13-30. 所収) #clear ~ *** [#dd57f16f] -pp. 13-14. --シチュアシオニスト→コルビュジェに代表される公式の都市計画と建築に対する過激な拒否 --しかし、彼らの「統一的都市計画」は公式の都市計画と建築の専門的アプローチに深く依存していた。→コルビュジェに対するアスガー・ヨルン、アルド・ヴァン・アイクに対するコンスタント。 ↓ ++転用(détournement)という完全に自意識過剰である戦略の結果であり、敵対する相手の素材の使用の結果 ++現代都市計画の''本来の目的''に対するノスタルジアの混入に基づく、いわば共謀のようなもの結果 ~ --ここでは、ドゥボールの思想を地図作製的表象再現の思想へとつなげるというテーマを辿る。 ***Geography [#qd8ab68e] -pp. 14-17. --ドゥボールのラジオ番組のための台本(「教育的価値」) ---ドゥボールの小学校の教科書『世界地理、第六学年』、聖書の詩篇、エレミヤ書、サムエル書、ボシュエ、サン・ジュスト、マルクス、エンゲルス、1954年11月5日編集のフランスソワール紙からの断片の引用のコラージュで作られている。→転用 ---転用(détournement)→「前もって作られた美的要素の転用」、「シチュアシオニストの絵画や音楽というものはありえず、ただこれらの手段のシチュアシオニスト的使用があるだけだ」、「現在のまたは過去の芸術生産物を環境のより高度の構築に統合すること」((「状況の構築へ」インパクト出版会)) ↓ ---単に引用すること、借用することだけではなく、流用、再文脈化を通して古い生産物から新しい意味を作る。 ---ドゥボールの「Panégyrique」から→「たびたび──この事例は頻繁に見られるが──語あるいは文は二つの可能な意味を提示する。この両者は認識され保持されなければならない。というのは、文は両者の意味において完全に真実を語るものとして理解されなければならない。このこともやはり、テキスト全体を通しての唯一の真実とは、そこにおいて見出される可能な意味の合計であるということをほのめかしている。」 ---転用の弁証法→二重のアイデンティティー化。原形の状態、変形された状態が結果としての環境の中に保持されている。 ---ドゥボールは「教育的価値」は、アイロニックな転倒と衝撃的な並列を伴って、現在の地理学(工業生産の支配、人種的偏見による植民地への影響…)へと向かっていく。 ***Cartography [#r2b7eddc] -p. 18-25. --漂流は『世界地理、第六学年』に対して正確な対位法となっている。 ---『世界地理、第六学年』→広大な森林を横断する旅人、大海のただなかにいる水夫、砂漠の上を飛んでいるパイロットは偶然に従って移動するのではなく、彼らはそこにおいて移動の方向を正確に知っている」 ---漂流→漂流は集中の産物ではなく、「散漫」の産物であり、「いかなる目的も持たない位置ずれの技術」((Potlatch14)) --『世界地理、第六学年』 ---斜めの角度から撮影された航空写真のイメージと幾何学的平面図の間の詳細な対比を利用。 ---スケールの異なる同じ地域の4つの地図は、細部と輪郭の水準において比較される。 ↓ --ドゥボールの地図作製的想像力の芽生え→航空写真から、漂流の精密さの全てを携えた、仮想的地図、彼独自の構成への移行→案内としての写真と地図の基本的役割を維持しているが、以前には地図化されていなかった「道」を提示する。 --ドゥボールの最初の書籍、回想録([[Mémoires>GG_img:Terres Inconnues&openfile=memoires.jpg]]) ---7番目のページの無根拠なフレーズ、バルバラ・ローゼンタール(Barbara Rosenthal)に対するへの情熱の思い出に捧げられた一連のページ。地図化の術とその内容の心理学的な源泉との最初のつながり。 ↓ ---「彼女の継続的な存在を通して表現される人物の捜索は、この奇怪で全くくだらない[[Carte du Tendre>WikiPedia.en:Map of Tendre]](恋の国の地図)の中で行われる」←[[ローラ・モンテス>WikiPedia.ja:ローラ・モンテス]](Lola Montez)を描いたマックス・オフュルス(Max Ophuls)の映画、「[[歴史は女で作られる>WikiPedia.ja:歴史は女で作られる]]」のPhilippe Demonsablonの評論からの断片。 ---SI誌3号「一九五〇年代末の統一的都市計画」((「状況の構築へ」))において、[[アムステルダム中心部の航空写真>GG_img:Terres Inconnues&openfile=Amsterdam.jpg]]と「恋の国の地図」を取り上げている。 --Carte du Tendre(恋の国の地図)→[[Madeleine de Scudéry>WikiPedia.en:Madeleine de Scudéry]](マドレーヌ・ド・スキュデリ)(1607-1701)の小説「クレリー(Clélie)」に出てくる地図で、恋愛をしたときに通過するであろう感情が表されている。←「感情の地形(an emotional topography)」ジョアン・ドゥジャン(Joan DeJean) ---「『恋の国の地図』は空間と同様に時間も地図化している。つまり、量と同様に質も測定している。距離は現実の地形での運動によってではなく、情緒あるいは感情の強度によって記されている。場所の名前は物理的な場とは一致せず、精神の活動、進行、状態に一致する。」(Jeffrey Peters, Mapping Discord: Allegorical Cartography in Early Modern French Writing p84) ---当時の地図作製の習慣を採用しつつ、イデオロギーの地図を構築するような手法で、これらの習慣を変形した。→「力の場」でもあるような、戦略、機会、位置決めの原-ボードゲームであった。 --ドゥボールの遊戯(ゲーム)へ興味→[[ホイジンガ>WikiPedia.ja:ヨハン・ホイジンガ]]の快感原則の人間学に限定されていたのではなく、彼独自の戦争ゲームの考案において精緻化されていた。 --ド・スキュデリのサークル→プレシオジテ運動([[Précieuses>WikiPedia.en:Précieuses]]) ---生のあらゆる様相を建設的に転覆させたいという、われわれが今感じている要求からすれば、プレシオジテの最も重要な貢献の意味は行動と生の&ruby(デコール){舞台装置};(特権的な活動としての会話と散歩、建築の面では、居住空間の自在な組み替え、装飾および家具に関する諸原則の変化)のなかにあるからである。((「武装のための教育」インパクト出版会))←ポトラッチ22号、ジル・ヴォルマン(Gil Wolman)とドゥボール ↓ ---生の空間的構造を転覆したこと対して称賛。家の内部、その装飾、部屋の関係の再定義。街路の再定義。 ---「恋の国の地図」とアムステルダムの航空写真の並列→都市を反都市計画家の領土へと「戻す」という、デカルトの欲望よりもプレシオジテの欲望に近い考えをほのめかしている。 --心理地理学的パリガイド([[Guide psychogéographique de Paris>GG_img:Terres Inconnues&openfile=Debord-psychogeographie.jpg]]) ---「もうひとつの恋の国の地図(あるいはもっと正確にはその最初のもの)」ヴィンセント・カウフマン(Vincent Kaufmann) ---パスカル「恋愛の情念について(Discours sur les passions de l’amour)」 ---愛情に向かう川ではなく、都市の漂流者(dériveurs)によってたどられる心理地理学的な傾斜を描いていた。 ---航空写真 ***Aerial Geography [#j2e0c40e] -p. 25-29. --Michel Parent(ミシェル・パレント)は「都市計画家による航空写真の利用」について書いている→コルビュジェは、「航空写真と3次元都市計画」の完全な交差の実現に成功していると主張。航空写真は、日常の都市の光景になることを求められた。 --ポール=アンリ・ションバール・ド・ローヴェ([[Paul-Henry Chombart de Lauwe>WikiPedia.fr:Paul-Henry_Chombart_de_Lauwe]])(1913-1998)、社会学者 ---社会学において航空写真の利用。 ---さまざまな角度からの撮影された航空写真。 ---物理的環境の資料だけではなく社会プロセスの資料としての最良の形式のひとつは、空中調査であるということを見出した。 ---コルビュジェのパリのヴォアザン計画の称賛 --ションバール・ド・ローヴェの作品に対するドゥボール→対立的であるよりも抱合的 ---「16区に住む学生によって1年間で行われた全ての旅」というションバールの研究 ---ドゥボールは、都市近郊は地理的要因、経済的要因の合計以上のものによって決定されるが、「その地区の住人と他の地区の住民とがその地区に対して持つイメージ」((「状況の構築へ」))によっても決定されるという見解を、ションバールの功績としさえした。→「生き生きとした情動的反応を惹起しうる現代の詩の一例」((Ibid.)) ---現代のプランニングと消費者の傾向を批判するために、ションバールの社会学の転用。漂流のためのプランニングの装置として即座に機能する手法。→航空写真 --1960年以降二つの航空写真→政治的切迫の感覚を指摘する上で重要。 ---どこか特定できない都市に爆弾を投下しているB-52爆撃機を上部から撮影したもの ---J. V. Martin(J.V.マルティン)によって作られた「熱核地図」の再現である。 --アメリカにおける核シェルター計画に対する批判→『冬眠の地政学(Geopolitics of Hibernation)』((「武装のための教育」)) --切迫した核戦争の脅威に伴って、航空写真は新たな意味合いを持つようになった。航空写真はかつて平和的な心理学的漂流の手引書であったが、今では空からの死の脅迫的イメージである。 ***写真-都市計画 [#h738672a] -p. 30. --ドゥボールの統一的都市計画 ---地図化されたコラージュと写真、社会学的な証拠を通して展開。 ---新しい経験に対する可能性を裏打ちする。 ---現状を転覆させる戦争ゲームに向けての戦略を発展させる。この意味において、『恋の国の地図』のような航空写真はゲームボードとして機能する。そこでは、過去における日常という現実を思い出すだけでなく、未来の動きを計画することが許される。 ---地上の生活からの空中のイメージの明白な分離は、望遠と近接の光景の間の連続的な瞬間に過ぎない。 ~ RIGHT:&size(16){GG Lab.}; &size(11){by [[GGAO>http://www.ggao.info]]};