Rhythmanalysis: Space, Time and Everyday Lifeのメモ †
アンリ・ルフェーヴル(Henri Lefebvre)著
Continuum Intl Pub Group (Sd) (2004/07)
ISBN-13: 978-0826472991
Elements of Rhythmanalysis: An Introduction to the Understanding of Rhythms
(リズム分析の諸要素──リズム認識序説) †
The Critique of the Thing †
- p. 6.
- 時間と空間においては、反復のない、再開のない、回帰のない、要するにメジャーのないリズムはない。しかし、そこには無制限に同じパターンの絶対的反復はない。そのため、反復と差異との関係なのである。リズムが日常、儀式、祭式、祝宴、習慣、そして規範に関わるとき、そこには常に、己自身を反復の中に運び込む新しい、予想できない何かがある。つまり差異である。
- 私たちの都市-国家-市場の社会という社会経済的組織体。商品はあらゆるものに勝る。(社会)空間と(社会)時間は、交換に支配されているが、それらは市場の時間と空間になる。物ではないのだけれども、リズムを含んでいるでおり、それらは生産物の一部になる。
- p. 7.
- a)絶対的な反復は同一性の記号における、論理的、数学的思考のフィクションにすぎない。つまり、A=A(その符号は“同一(identical)”と読めるが、“等しい(equal)”とは読まない)。それは直ちに修正されることで、論理的思考の出発点となる。2番目のAは、それが2番目であるという事実によって1番目のものとは異なる。単位、1の反復は数列を生み出す。
- b)差異はこの並びの中に直ちに現れる。つまり、奇数と偶数(2、3、4、5、など)、割り切れる数(4、など)、割り切れない数、素数(5、7、11、など)。反復は差異を除外しないだけではなく、それは差異を生み出すのである。反復は差異を生産する。遅かれ早かれ、反復は、反復的に生産される並び、あるいは連続との関連において、到来ないし発生する出来事に出会う。
- p. 8.
- 循環的な反復は宇宙、自然に由来している。直線的な反復は社会的実践、人間の活動に由来している。それは行為と運動の単調さである。
- 時間と空間、循環的なものと直線的なものは相互作用を発揮する。それらはお互いにそれら自身を測定しあう。各々に己自身を作り出し、計測器となる。あらゆるものは直線的な反復を通しての循環的な反復である。弁証法的関係(対立における統合)はこのようにして、意味と趣旨、つまり一般性を獲得する。あるものは、他のものによるこの通路によって、弁証法の深さに到達する。
- リズムにおける矛盾→リズムは自然で、自発的で、自らが展開する以外の法を持たないが、特に音楽、詩、ダンス、体操、労働などにおいて、メジャー(measure)を仄めかす。
- pp. 9-10.
- リズムの分析に現れるだろう有用なカテゴリー(概念)とその対立。
- 反復と差異、
機械的と有機的、
発見と創造、
循環と直線、
連続と不連続、
量的と質的…
- これらはメジャー(measure)の中心的概念に収斂する。
- p. 11.
- リズムは論理を免れ、それにもかかわらず論理、計算の可能性と数の関係を持つ。……'争い(二元性)によって特徴づけられる知的な手続きは、その場所をここに持つ。つまり、対立はそれらの関係で理解されるが、しかしまた、それ独自でもそれぞれ理解される。
- p. 12.
- へーゲルにおける、“テーゼ-アンチテーゼ-ジンテーゼ”、あるいは、マルクスにおける“経済-社会-政治”、あるいは最近の“時間-空間-エネルギー”。あるいは“メロディー-ハーモニー-リズム”でさえも。三つからできている(triadic)分析は、それ自体を陳腐な分析と同様に、二元的分析から区別する。それは、ヘーゲル主義者の図式に基づいてジンテーゼに導いたりはしない。
- p. 15.
- 場所、時間、そしてエネルギーの消費のあるところならばどこでも、リズムがある。それゆえに、
a)(運動、身振り、行動、状況、差異の)反復。
b)直線的なプロセスと循環的なプロセスの衝突。
c)誕生、成長、頂点、それから下降、そして終焉。
The Rhythmanalyst: A Previsionary Portrait †
- p. 19.
- リズム分析者(Rythmanalyst)は世界の音を聞くことができ、何よりも軽蔑をこめてノイズ(意味がないといわれている)と呼ばれているものを聞くことができ、かすかな音(意味で満たされている)を聞くことができるる。さらに沈黙を聞くことができる。
- リズム分析者は外部のリズムを十分に理解するために、必然的に彼の身体からリズムを学ぶ。彼の身体はメトロノームとして機能する。
- p. 20.
- リズム分析者は実際の身体の内側から外側へと飛躍せざるを得ないということではないであろう。彼はそれらを全体として聞くようになり、そして自らのリズムを参照として受け取ることによってそれらを統合する。つまり外側を内側に溶け込ませる。逆の場合も同じ。
- p. 23.
- presentとpresence
- presentは、自然、果実、花などを模倣した偽造物としてpresenceをシミュレートする不純物の混じった生成物である。presentから成る一種の(偽りの)シミュレータ、即ちイメージ。
- リズム分析者は、presentとpresenceの間のこの関係、つまりそれらのリズムの間のこの関係を明らかにするだろう。弁証法的な関係:不一致ではなく同一でもない──排除でもなく包括でもない。
- p. 26.
- 要求(need)と欲望(desire)の間、そこには良く知られた違いがあるが、しかし断絶はない。言語機能と記憶機能の介入には深淵が広がってはいない。要求と欲望、眠りと目覚め、労働と休息は相互作用にリズムである。
Seen from the Window †
- p. 36.
- リズム、リズム。それらは曝け出し、そしてそれらは隠す。音楽におけるそれよりも、または、いわゆる相続に関する民法よりも、都市についての比較的に単純な文章よりも、はるかに多様である。リズム、それは即ち、都市の音楽であり、それ自体に耳を傾ける光景であり、不連続の総和についての現状におけるイメージである。
- ここで、古い哲学的な(主体、客体、そしてそれらの関係の)問題が、非思弁的な装いで、実践に近いものとして見出される。窓辺の観察者は、最初の参照点で自らの時間を取り上げるが、しかし、それらが一定の比率のままであるという条件で、最初の印象はそれ自体をずらし、そして最も多様化したリズムを組み込むということを知っている。