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The Suburban Home Companion: Television and the Neighborhood Ideal in Postwar Americaのメモ

Sexuality & Space.jpg

リン・スピーゲル(Lynn Spigel)著
(Sexuality & Space,
Beatriz Colomina(編集),
Princeton Architectural Press(1996)
ISBN-13:978-1878271082
pp. 185-217.所収)

  • p. 186.
    • 1950年代の間に数百万のアメリカ人、特に中産階級の若い白人カップルは、新しい大衆へと逃れることによって都市における厳しい住宅不足に答え、郊外を作った。当時の文化史家とメディア学者の研究と大衆文学では、郊外居住者は順応主義者(近所のネットワークに属している方向づけられた社会は家族生活への回帰と同じくらい重要であった)として現れた。
    • 実際、新しい家庭的なものはパブリックな領域からの退却として単に経験されたわけではなく、それはまたコミュニティーの一員であるという感覚を人々に与えていた。一戸建ての郊外住宅を購入することで、中産階級の若いカップルは価値のある新しいコミュニティーの建設に参加した。そして、雑誌、映画、放送において彼らは“豊かな暮らし(good life)の文化的な手本となった。その上、PTAのような家族に基づくコミュニティー組織の急速な成長は、これらの新郊外居住者は彼らのドアにバリケードを築かず、彼らはただ単に“脱落”しているのではない、ということを示唆した。それよりむしろ、個人(private)地主としての新たに作られた社会的アイデンティティを通じて、これらの人々はパブリックな領域の意義を位置づけてくれるものを確実に手に入れた。
    • この意味において、家族生活は単に家庭的であるヴィクトリア朝カルトへのノスタルジックな回帰ではなかった。むしろ、その新しい郊外文化においての最大の関心事は、特定の言説空間の構築であった。この言説空間を通して、家族は一方ではプライベートな安息所、他方ではコミュニティー参加という矛盾する欲求を調停することができた。個人住宅を土地の連結する小区画に並べることにより、郊外地域はそれ自体がこの言説空間の理想的な表現としてあった。つまり、大規模なコミュニティーからの分離とそこへの統合という二重のゴールは地域のデザイン基本であった。
  • p. 187.
    • モダニストの建築をアメリカ中産階級の大量生産住宅に適用するとき、当時の専門家は、モダンの住居は内側と外側の空間の区別を曖昧にするべきであるということに同意していた。外側の世界の錯覚を作り出すために利用された中心的なデザイン要素はピクチャーウィンドウ、あるいは“ウィンドウウォール”(ガラス引戸)であった。これらは戦後ますます人気になった。
    • Daniel Boorstin(ダニエル・J・ブーアスティン)(1914-2004)が論じているように、家庭と商業の両方での使う大きな厚板ガラスの窓の多大な普及は、屋内と屋外のはっきりとした区別をなくすことを促すことによって、環境を平らにし、パブリックとプライベートの間に曖昧さを作り出した。
  • p. 188.
    • プライベート空間をパブリック空間と同化ことを可能にする能力により、テレビはこれらの郊外住宅にとって理想的な手引書となった。
    • 1946年の本のタイトル『Here Is Television, Your Window on the World』。大衆紙はこの窓のメタファーを何度も使用し、テレビは自宅にいながらの状態で、人々に離れたところへの想像的な旅行をさせるだろうということを主張した。
  • p. 189.
    • 戦後アメリカは近隣についての伝統的考えにおいて、重要な転換を目撃した。Levittown(レヴィットタウン)やPark Forestパークフォレストような大量生産による郊外は、パブリックスペースのかつての形式をプレハブ工法の新しく規定された美学に置き換えた。
    • 郊外のコミュニティーは核家族の生活パターンと一致するように、それらを再生産するためにデザインされた。コミュニティー参加のために町の中心部にもたらされた遊び場、芝地、学校、教会、そしてシナゴーグは、家族の成長の個別の段階に基づいていた。年配の人、ゲイ、レズビアンの人、ホームレスの人、結婚していない人、そして有色人種の人は、これらのコミュニティスペースから単に閉め出され、都市へと追い返された。郊外の空間は共同体の空間を純化するために、都市の混乱を洗い流すためにデザインされた。一方でそれと同時に、隣人というポピュリストの理念を保持していた。
    • “不快なもの”を取り除くという試みは決して全て成功してはいないが、この空間の殺菌のモデルは、戦後郊外の中心で支配的な美学となった。1800年代半ばより、この殺菌のモデルは電子的コミュニケーションの空想的理想の中心となった。電気は新しい工場の機械によって生じた汚染を、より清浄な環境に取り替えてくれるだろうと思われた。離れた空間を結合するという能力を通して、電話や電報のような電子的コミュニケーションは、この衛生化された環境を付け加えただろう。それは、一方では職場あるいは家というよく知りそして安全な場所に留まったまま、人々が遠くの場所を占めることができるようにするにことによって。
  • p.190.
    • 結局、この新しい電子的環境は、都市における社会的な退廃についての関心と結び付けられた。インテリ文化と大衆文化の双方において、電気はレトリカルな相貌を帯びた。都市を浄化して社会的な汚染物を取り除く方法を人々は想像した。移民と階級闘争は電気の魔術的力を通して消えるかもしれないと。
    • Carolyn Marvin(キャロリン・マーヴィン)*1によると、19世紀の思想家は、経験を限定し、社会的な出会いを安全に、親しく、予測できる文脈のものにすることで、電子的なコミュニケーションが文化的差異の脅威を弱めることを望んでいた。長距離のコミュニケーションのおかげで、疑わしい人、歓迎されない人はそれが近隣であったも、発達の名のもとに消され得た。遠隔通信を通して、外部世界の文化的差異を考慮する必要さえも排除しつつ、家族と近隣を世界の安定した中心に置く事ができた。
  • p.191.
    • 電子的コミュニケーションと社会空間の浄化との関連は大量生産された郊外にとっての見本のようである。20世紀を通じて、これらの関連は、大衆に電気と清浄な社会環境とのつながりを確信させることを期待した、公益事業会社と電機メーカーによって築かれた。
    • 社会的な差異の濾過という空想は、1920年代初期にラジオがもたらされたとき、大衆紙において支配的な空想であった。人気のある批評家は、ラジオが国民を同質のコミュニティーへと結合する能力を称賛していた。この同質のコミュニティーでは階級区分は統合的な声によって曖昧にされた。ラジオは聴き手を、未知の異なった、そして潜在的に抑制のない諸個人から遮断したのだろう。放送はそれ以前の電話や電報のように、社会的な衛生器具ととして見られていた。
    • 戦後、無菌の電子的空間という空想はテレビに舞台が移された。大勢のコメンテーターは、人々が想像的に冒険する場所の実際の社会的文脈の影響を受けないまま、媒体により、家から旅行することがどのように可能になるかを示しながら、テレビの無菌空間の長所を称賛した。特にテレビは若者たちを邪悪なパブリックスペースから遠ざけ、日常生活の数え切れない悪影響に近づけない能力よってもてはやされた。少年非行が一番の社会の病と考えられていたときに、視聴者に対する調査は、両親はテレビが彼らの子供たちを街路から遠ざけておくだろうと信じていると示していた。テレビはこのように、子供たちを監視されていない異種混淆の空間に近づけないと約束した。
  • p. 193.
    • 何人かの批評家は、テレビの社会空間を衛生的にする能力が、まさに卑しく病的だと考えられていた人々にとって、魅力のあるものであるだろうと示唆していた。彼らは選挙権のないグループの生活を高める能力についてテレビを賞賛した。それは卑しく病的だと考えられていた人々が、典型的に歓迎されない場所であるパブリックスペースとの接触を可能にすることによってであった。
  • p. 194.
    • 社会評論家はパブリックとプライベートの領域を結合するテレビの能力を称賛したが、空間-結束のこのユートピア的なファンタジーは、ディストピア的な裏面を見せた。テレビの無菌空間はそれ自体、電気通信を通して広がり、市民の家のなかへ入っていった新しい社会病としての汚染の影響下にあった。
    • たとえ、テレビが一部の人々に、子供を危険なパブリックスペースから引き離す方法として称賛されたとしても、他の人々は、パブリックな領域の脅威的な拡大として電子環境を見ていた。最も典型的には、テレビは受動的で中毒的な振る舞いを生じさせると言われていた。それは回りまわって、滋養、衛生、社会的行動の良い習慣と教育を混乱させるものとされた。
  • p. 196.
    • テレビ技術の議論は、テレビを技術的な論理よりも生物学的な論理へと帰する医学的な議論と関連しながら進行した。1951年の雑誌『American Home』では読者に対して、徴候、原因、処置、そしてテレビの検査の仕方を一覧表にして、テレビの一般的な故障を診断し修理することを学ぶように提案していた。テレビはそれ自体、人間の身体として表象された。適切な医学的手続きを通して“健康”へと回復させられるものとしてその身体は考えられた。
    • テレビの汚染効果についての心配は、放送技術が家庭にもたらす空間についての大きな困惑に基づいていた。戦後のテレビ革新以前でさえ、有力なメディアは現実と電子的空間との区別に関する不確実性について伝え、電子的な汚染物質が物理的な環境に侵入するかもしれないと示唆した。
  • pp. 197-198.
    • 1930年代、40年代のコメディ映画には、電子的空間と現実空間との境界上の混乱を描いているユーモアなシーンがあったが、1940年代末までにあまり強調されなくなった。人々は彼らの家の輪郭内にテレビのスペクタクルを組み込む方法を学んでいた。
    • 戦後の家庭雑誌とインテリア装飾のハンドブックは、家を快適なシアターに変える方法の、絶え間なく終わることのないアドバイスを提示していた。この家のシアター化は家庭の空間をプライベートな娯楽施設へと変えていった。実際、理想的なホームシアターは、まさに人がそこから離れる必要のなく、辺り一面が機械化された娯楽という完璧にコントロールされた環境の“部屋”であった。
  • p. 198.
    • これらのホームシアターは、戦後のアメリカにパブリックとプライベートの領域との間の関係を調停する方法を、提供した。家がシアターへと変わることによって、外側の空間を安全の一部、凡庸な経験にすることを可能にした。言い換えれば、家の劇場化は人々にパブリックとプライベートの領域との間の線を引くことを許した。
  • p. 199.
    • 実際、Lawrence Levine(ローレンス・レヴィーン)*2が示しているように、その区別の構築が20世紀のシアターの構成の中心となた。1800年代ではショーに合わせて観客が歌ったりしていたが、20世紀になってパフォーマンスから切り離され、行儀のよい観客となった。これはGeorge Lipsitz(ジョージ・リプシッツ)が一種の“パブリックの中のプライベート”と呼んでいるものである。都市の中心に人口が増えていった時、シアターや他のパブリックな娯楽施設は、人々に群集の只中にいるのに、一人であるという空想的な可能性を提示した。このようにシアターは、大衆見世物のによる個々人の黙想を可能にすることで、人々の間の想像的な分離を作り出す手助けをした。
  • p. 199-200.
    • 戦後に、このシアターの経験はテレビの経験によって、再公式化された。そのテレビの観客は、群集から物理的に分離させられ、そしてファンタジーは他者が“不在”である想像的な単位のひとつとなった。シアターにおいてはマナーを守ることで観客が孤立化していったが、テレビの観客は最初から孤立化しているので、逆に社会とつながることが求められた。テレビは視聴者にパブリックな出来事に参加しているように感じさせなければならなかった。しかしながらそれと同時に、パブリックな領域とプライベートな個人との距離は保たれなければならなかった。
  • p. 200.
    • もしテレビが電子的手段によって社会的な相互接続の空想的可能性を約束したとしても、この社会生活の新しい形式は、現実のコミュニティの経験の改善とは必ずしもみなされてはいない。家庭の空間にパブリックなスペクタクルを含むことは常に不愉快な可能性が付いてきた。それはプライベーートな家をに侵入する外の世界の社会的病であった。家がパブリックな領域の面を含めば、それだけいっそう、家は歓迎しない侵入を受けているように見られた。
  • p. 201.
    • このような大衆の不安は、新しい郊外の中産階級が出くわした、社会関係の変化する構造を理解する時に、より理解される。これらの人々は多くの場合、あらかじめ用意された即席の近隣を見つけるために、都市にいる家族や長年の友人から離れた。完全に知らない人たちからなる街区は、年齢、収入、家族数、職業のおいての人工統計学的類似という抽象的レベルのみの交友関係を表わしていた。この均質性は直ちに、社会学者や大衆批評家が郊外の悪夢において描き出した、不安のおもな原因となった。
  • p. 202
    • あらかじめ計画されたコミュニティーというこれらの悪夢のようなヴィジョンは、テレビ上での代理のコミュニティーの到来の推進力として機能した。テレビは理想的な近隣という幻想を提供した。ちょうど人々が都市に彼らの一生の友達を残してきた時、テレビのホームコメディーは隣人と家族の絆の美化されたヴィジョンを描き出した。
  • p. 204.
    • 急速に拡大していたテレビ文化はこれら近隣の絆のメタファーを、電子的空間と現実空間との間の境界線を曖昧にすることによって拡大した。テレビの家族は通常、まさに生放送される生活を偶然している現実の家族として描かれた。
  • p. 205.
    • これらのテレビ放送された隣人たちは、ピクチャーウィンドウの“亀裂”を接合したように見える。彼らは多くのアメリカ人にとって、都市から郊外への耐えられない移動であったに違いなかったことを、容易にする手助けをした。しかし、追放された郊外居住者たちを元気付けるものを、単に与えるよりも、テレビは何かより良いものを約束した。つまり、現実であるよりも幻想的な友人のコミュニティーの感覚を根拠とした、視聴者の快楽のモードを約束した。そしてそれは面倒でおせっかい焼きの隣人から離れ、家の中で独りで居る新しい可能性を提供した。しかし、それはまた、コミュニティを架空の距離におくことで、コミュニティーの一体感と社会的な相互のつながりの理想を維持した。テレビは人々に想像上の社会生活に入ることを許した。
  • p. 207.
    • テレビは観客に、単に映画のような幻想をもたらすことだけでなく、“その場にいるような”感覚、一種のハイパーリアリズムをもたらすことを約束した。テレビのプロデューサーたちは、パブリックとプライベートの世界を新しい電子的な近隣の中へと融合する図式を考案した。→新しい電子的な近隣の建築家
  • p. 209
    • オフィスや劇場のようなパブリックスペースは単なる男性の空間ではない。それらは性差のカテゴリーに従って組織されている。これらの空間において、ある種の社会的地位と主観性は、家具の配置、入口と出口の編成、手洗所の分離、間仕切壁の構成などに従って生み出される。このように、テレビのパブリックな領域を家の中へと結合は、“男性”の空間を女性の空間の中へもたらすことではない。そのかわりに、それは性的に組織された空間のひとつのシステムを他のものに置き換えるのである。
    • 家長的文化における日常の経験を既に定義している空間的ヒエラルキーを強化することによって、テレビは女性のパブリックな生活からの社会的孤独を増大させるだろうことを、戦後のメディアはしばしば提示していた。その新しい家族のシアターは典型的に、社会的な接触の制限された機会を示していた。この接触とは伝統的に、映画館やその他のパブリックな娯楽において女性が持っていたものであった。
  • p. 212.
    • 文化評論家は頻繁に、大衆文化と女らしさについての家長的前提を結び付けてきた。大衆娯楽は概して、受動性、消費、そして逃避を助長すると考えられた。Andreas Huyssen(アンドレア・フイセン)(1942-)→19世紀以来の、女性と大衆文化のこの結びつきは、“低級”と“高級”の芸術(あるいはモダニズム)の間の二分法を設定している。現実で、本物の文化は男性の特権に結び付けられたままである一方、大衆文化はいくぶん女性に結び付けられている。
    • (テレビ、ラジオ)放送の場合は特に興味深い。なぜならば、女性化の脅威は男性達を狙っていたからである。放送は、家長的(高級)文化の規範的な構造を崩壊させること、そして“本物の男”を受動的な家にばかりいる人(homebody)へと変えることが示された。
  • pp. 213-214.
    • 有力なメディアがしばしば提示したように、テレビは男性たちから彼らの権力を奪う恐れがあり、イメージをめぐる彼らの権限を奪う恐れがあり、そして彼らを受動的な視聴者へと変える恐れがあった。この兆しは多くの表現において具体化した。それは女性たちが彼女たちの夫を、テレビを通じて支配しているところを示していた。ここでは、プライベートとパブリック空間のテレビでのぼやけが、分離された領域の中心で性差別のヒエラルキーを反転した主婦の手の中で、強力な道具となった。この逆さまの世界で、テレビ技術の賢い操作を通じて、女性たちは男性たちのパブリックな領域への接近を取り締まり、そして彼らを家に閉じ込めた。
  • p. 217.
    • 近隣ネットワークの喪失は、戦後の生活を苦しめる一連の矛盾である。たぶん、より古いものへのノスタルジーだとすると、コミュニティのより“リアルな”形式はそれ自体、歴史的な空想である。しかし、遠隔通信によって統合された世界という夢は、さらに詳しい調査を正当化するに十分名ほどに危険に思える。結局、地球村は植民地開拓者の夢であり、植民地人の夢ではない。
      GG Lab. by GGAO

*1 『古いメディアが新しかった時―19世紀末社会と電気テクノロジー』ISBN:978-4788508682
*2 『ハイブラウ/ロウブラウ―アメリカにおける文化ヒエラルキーの出現』慶應義塾大学出版会 2005

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Last-modified: 2017-04-07 (金) 23:53:26