Girardinの実際の構築物のエレベーションのはイリュージョンが残っているが、彼がフルサイズの模型を使うことを奨めていたことは、スケールからサイズを区別するもの理解していたことを証明している。
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この区別はセラの「特殊なエレベーション(specificity of elevation)」への興味の核心のうちにある。
このことに気づいている者もいた。Humphry Repton(ハンフリー・レプトン)(1752-1818)→「画家が風景を見るのは固定した地点からである。それに対して造園家は動きながら地形を見る。」((レプトン『スケッチ集』(The Art of Landscape Gardening所収)、日本語訳は『美術・建築・デザインの研究 1)
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parallax(視差)と建築の関係が現れている発言→Henry Home, Lord Kames(ヘンリー・ホーム・ケイムス卿)(1696-1782)「家に向かうまっすぐな通路は避けなさい。曲がりくねった線の遠回りのアプローチがよりよい……まっすぐなアプローチでは、最初の状況が最後まで続く。遠回りのアプローチでは、間に差し込まれた物が家を外見上において動かす。つまり、それは通行者と一緒に動くのである。……継続的に異なる方向から見られ、一歩ごとに新しい像を装う。(Elements of Criticism (1762))」
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「捕捉の進行につれて構想力が表象を逐次に捕捉していくと、感性的直感によって最初に捕捉された分の表象は、構想力において早くも消滅し始めるので、構想力は一方で得たところのものを他方では丁度それと同じだけ失うことになり、総括はやがて最大量に達してもはやそれ以上に出ることができなくなるからである。*27(英文:For when apprehension has gone so far that the partial representations of sensuous intuition at first apprehended begin to vanish in the imagination, while this ever proceeds to the apprehension of others, then it loses as much on one side as it gains on the other; and in comprehension there is a maximum beyond which it cannot go.)
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