GG Lab. by GGAO

Asger Jorn's Solutions for Architectureのメモ

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グラハム・バートウィスル(Graham Birtwistle)、ピーター・シールド(Peter Shield)著
(AA Files 52,
Architectural Association Publications(2005),
pp. 35-54.所収)


  • p.35.
    • アスガー・ヨルン(Asger Jorn)(1914-1973)はパリでレジェ(画家)に学び、コルビュジェ(建築家)の手伝いをしたりした。コルビュジェは建築家であり画家であった。
  • p. 36.
    • ヨルンの機能主義批判→機能主義はある問題を合理的に解決しているが、合理的な解決に従わないものは意味がないものか反動的なものとして無視された。ヨルンの戦略は保守主義やロマン主義に陥ることのない非合理的領域を主張することだった。→機能主義者の考えから常に抹消されている人間の経験のカテゴリーを受け入れるために、機能の概念の拡張すること。

A Reckoning with Le Corbusier

  • ヨルンは機能の概念を拒否したが、それを非合理的、全体論的(ホリスティック)な用語の中で再定義した。彼は自身の建築的問題の位置づけをコルビュジェの教えから引き出しているが、コルビュジェの合理主義的傾向は一掃しようとしていた。
  • コルビュジェ『新時代館』(1937)、「パリ万博」に自主参加したパビリオン。
    • このときヨルンはル・コルビュジェと共に巨大フレスコ画を制作。
    • このパビリオンはテントのようだったので建築とは見なされなかった。
    • このパビリオンについてのヨルン→「建築と造形芸術は2つの対立したものではない。すなわちそれらはひと続きであり、隙間がなく、一体になっている」、「この建築は、その呼び名に値するとは見なされないが、今日の真の建築である。その他すべてのことがノイズであり、小物である。」
  • コルビュジェのアプローチはまだ芸術を十分には統合していなかった。人間の周りの効果的で満足できる枠組は機能主義と芸術が新しく融合されたときである。
    • 自然主義のイーゼル絵画には見込みがないが、アールヌーボーは私たちの環境において、象徴的力に対する潜在性と生に対するこの融合の感覚の実現の例を提示していた。
    • ワシリー・カンディンスキー(Wassily Kandinsky)(1866-1944)は彼の理論と抽象と色彩の強調という実践で、重要な一歩を踏んだが、抽象は美の体系に沈むのを避けるためにダダやシュルレアリスムのさらなる活発な歪みを必要とした。
    • この点ではパウル・クレー(Paul Klee)(1879-1940)とミジョアン・ミロ(Joan Miró)(1893-1983)が模範的な芸術家であった。
  • レジェは(コルビュジェの建物の壁画を描いたりしていたが)、そこには建築の知的言語との対立はなかった。
  • ヨルンはコルビュジェの原理と対立するシュルレアリストに注目していた。コルビュジェの明快さに対しては不透明な迷宮を、プランニングに対しては偶然を提示していた。
  • p. 38.
    • 1947年のヨルンによる機能主義批判は、コルビュジェ『人間の家(la maison des hommes)』(1942)を参照していた。ヨルンは、それがコルビュジェを攻撃するものではなく建築家を攻撃するものであると述べていた。
    • 機能主義は民間資本の建築で階級社会の建築であったが、ヨルンは民主主義、社会主義的民主主義のより完全なかたちを求めた。
    • ヨルンはコルビュジェの数の優位やプロポーションを批判した。それは機能主義を古典主義に結びつけるものだった。「機能主義はカオスを恐れている。しかしカオスは生を意味している。ひいては彼(コルビュジェ)の機能主義は批判は、それが“生きている建築”ではなかったということであった。」、「機能主義は欲望を伴わずに作られた。つまり、死んだ人々のために作られた。生きた人々は欲望し、創造する。機能主義はどちらも許容しない。それは観念的人間のために作られ、それゆえ、生きた人間にとっては役に立たない。ル・コルビュジェは死んだ人間、受動的な人間の夢を見た。コルビュジェは計画の指導者として彼らのために生の条件を建設するだろう。」
    • ヨルンの“新しい生”への期待→コブラの運動を通して成し遂げられた。自発性、フォークアート、子供の芸術、シュルレアリストの無意識。1948年結成
    • 1946-1947年のヨルン→「人間の“基本的な喜び”とは、“太陽、空気、そして緑の木なのではなく、それらの創造的な力、恩恵に関する能力、それら自体とそれらの環境に対する喜びをつくり上げ、利用し、消費することである。」
    • 最初、ヨルンの考えはコルビュジェの考えにとても近かっために、彼は新たな世代の声に対して、コルビュジェの考えから離れることができなかった。しかし、ヨルン自身の世界観が広がるにつれて、徐々にコルビュジェから離れていった。

Apollo or Dionysus

  • ヨルンは戦後にスウェーデンの建築史家Erik Lundberg(エリク・ルンドベリ)の影響を受けた。また、AAスクールの学生であったMichael Ventris(マイケル・ヴェントリス)(1922-1956)の『function and arabesque』においては、ヨルンからの影響が見られる。
  • ヨルンは、いかにして論理的、系列的分析への試みをペルシャ装飾が無効化するかについてのルンドベリの説明について考えた。ペルシャ装飾は古典的芸術であるがしかし、即時的同時的にすべての部分のそれぞれに対する関係、これを見たときにその特徴を明らかにする。注意(attention)は全体へと拡張せざるをえず、それは引き伸ばされるが、全体の中の点へと向けられることはない。→ヨルンにとってこの同時性は、モダン絵画の新しい絵画的見方という広大な暗示となった。
  • またヨルンにとって、オリエンタルは野蛮と原始と一体になった対立するものの片側に積まれたものだった。これらは古典と対立するモダン・アート、階級社会と対立する社会主義(弁証法唯物論者は観念論と形而上学に対立すると考えた)と連携させられた。
  • ヨルンの論文『Apollon eller Dionysos』(1947)。ニーチェのアポロとディオニソスの議論とコルビュジェのこれらの適用の影響
    • ヨルンはアポロンとディオニソスという2つの原理が必然的に互いに釣り合いを取るという考えを否定した。そして「アポロン的原理とディオニソス的原理は決して協働することはできず、常に互いに反する働きをしなければならない。」と主張した。
  • p 40.
    • ヨルンの『Apollon eller Dionysos』においては明らかな現代建築の議論はほとんどない。ヨルンの現代建築の議論の鍵を解くにはヴェントリスが参考になる。
      • ヴェントリス→「かつてコルビュジェに師事したが、ヨルンにとって“機能主義は生に対しての古典的な見方の最後の遅すぎる復活であり、ピュロスの勝利という装飾の一掃であった”。構築物とイデオロギーのような形式と内容の古典的分離、機能主義者がイデオロギーとして構築物を合理化することに対して、ヨルンは自発的な(シュルレアリストの)同時性という考えを対立させた。これは自由に妥協することなく発展している構築物とアラベスクという考えであり、イスラムあるいはメキシコの宗教建築、ケルトあるいはノルディックの装飾において見られる。」
    • ヨルンの『Apollon eller Dionysos』はデンマークでも反響があった。この論文は雑誌『A5』において、ギーディオンの『空間・時間・建築』から抜粋された「歴史の中に、際立った二つの傾向が存続している。その一つは合理なものとか幾何学的なものへ向うものであり、他の一つは非合理的なものとか有機的なものへ向う傾向である。すなわち環境を取扱ったり、支配したりする二つの異なった方法である。」*1という文章と並置されている。
      • このギーディオンの主張はヨルンと似ているが、ヨルンを遠まわしに弱体化させている。ギーディオンは、この2つの傾向を回帰性の二者択一とみなしており、ここから芸術家や建築家は好みによって選択する権利があると考えていた。ヨルンはこの回帰性は政治的に決定されたものと考えていた。

The Politics of Urbanism

  • ヨルン→「私の見解はこのような抽象的な美学理論ではなく、唯物論的な先入観についての純粋に経済的、政治的そして文化的な見解である。」
  • ヨルン→「戦前、私たちはプランニングと個人住宅の合理化で済ませていた。今では私たちは町の計画を始めてしまった。その結果は全く愚かなほどにひどい。どうして? ……なぜならばプランニングは誤った終わりから、全体とコンテキストの代わりである細部から始まっている。その結果はまさに生を欠いている、標準化され機械化された細部の、つながりのない混乱状態になるだろう。」
    • 正当な終わり、生のリズミカルなシステムの優先からプランニングに取り組むことは、「機能主義による機械と技術の犯罪的な理想化の上に打ち立てられなければならない(ヨルン)」。しかし、これは政治性なしでは実践されないだろう。
  • ヨルン→「都市計画の問題は惑星あるいは衛星を作ることによっては解決されない。人間性の普遍的積極的要求に基づく生産的な生のプランニング、都会と同様に田舎において、国家と同様にインターナショナルな領域においても、人間の生活を社会化し関連付けることによって解決される。都市計画の問題は製図室で解決されるのではなく、政治的生において解決される。」
  • p. 41.
    • ヨルンは具体例として、中世の都市の肯定的な価値と伝統的なタウンプランニングの否定的意味あいを対比した。
      • 都市の“内部構造”を分析すると、中世の都市のプランはルネサンスと、その後の社会必要から自然に生じたものとは根本的に異なる。「専門化した手工業と生産物の分配と交換の要求は本質的に都市をつくり上げている。これらは綿密に周囲の田園地方と結びついている」(ヨルン)。ルネサンスの以来、有機的な中世の都市は独立した建物というカオスへと分解された。バロック時代に今度は、この建物を「純粋幾何学あるいはメタフィジカルな美学のプランデザイン」によって秩序づけようとした。

Life's Arabesques

  • ヨルンは論文『What is an Ornament』(1948)において中世初期、ゴシック、ロココ、ユーゲント・シュティールの様式の重要性を論じている。
    • ヨルンは四つの様式の例を縦に並べ、それぞれの横に植物の細部の写真を並べた。これは相互の類似性を自然の形態に拡張するためであった。これらの類似は模倣的なものではなく生じたものである。「なぜならもともと、素材はそれ自身の方法で自らを形作っているからである」(ヨルン)。
    • ここで目的されたものは、植物の形態のみで機能するのではなく、波動運動と光の構成の写真、気象図、血液循環の図表によって機能するものであった。ヨルンの冒頭のイラストはラジウム原子の軌道を表わしたものであった。
  • p. 42.
    • ヨルンの論争は社会要因だけではなく、自然の構造プロセスの結果としての形態の存在論理論を生じさせていた。よりいっそう生気論者的、原始主義者的方向へとマルクス主義の経路を変更することで、彼は自然と芸術における“装飾”の理論を支えるために、あらゆる生と事物の優位性の統合を強調した。
      • ヨルンはこれをアラベスクの観点から定義している。「全ての生きているものと全ての動くものは、時空間においてそれらのアラベスクを形成する。」(ヨルン)。地球の周りに大気が形成する模様、印のついた道を歩き回る動物たち、見えないルートに従う渡り鳥、赤い網を描く血液、ベッドから朝起き上がり大地を横切り足跡のアラベスクを描く人間。
    • 装飾は2つの考えの間の対立と代替の悲劇的歴史である。この2つの考えとは、古典的様式の静的な“モニュメンタルなデコレーション”と“未開”、東洋芸術、ヨルンが好む西欧の時代を特徴づける力動的な“自発的アラベスクである。芸術家はこれらの間で揺れていたが、機能主義が芸術様式を帳消しにした。
      • 意識的な様式はデザインすることは不可能であるという事実は一般的に認めらていた。様式は自分の意志でやって来るものであり、自分の意志でやって来なくてはならない。このような忘却の様式、この本質的に全く正しい観察から、機能主義者の様式は現れた。」(ヨルン)
      • 機能主義のプログラムには何も問題がなかった。誤った方向に進んでしまったこととは、誰もそれを本当に維持しようとしなかったことである。「機能的な(functional)建築を作る代わりに、彼らは機能主義的な(functionalistic)建築を作った」(ヨルン)。つまり、機能的にする代わりに、建築家は機能性の外観表現に集中した。そしてこれが彼らの美学になった。このようにして機能主義者の建築は、合理主義者と還元的な科学と工業の手法の側についた。それは人間の必要に機能主義的に答える代わりに「おもちゃの標準的な箱(ヨルン)」となった。そして、人々は新しさと様式の平凡な混乱でこれに抵抗していた。
      • ヨルンの主張→人間の必要は還元的手法に対して従順ではなく、そして「いくら都市的で理性的であっても、枠組みがないことを私たちの周りに築くことができる。……それは、有機的で生き生きとして、そしてコンテキスチュアルな建築を作ることの問題ではなく、生きいきとした生の様式、人間たちの間での有機的な協調、有機的社会の問題であり、その結果、無意識の様式は自然にアラベスクの形となるであろう。」(ヨルン)

Counter-Functionalism

  • ヨルンにとって、建物の外部形態は何かとコミュニケーションをするというきわめて重大な役割がある。この何かとは人が通常の生活環境において反応できるだろうものである。「外観の機能は人々にとって肯定的で、刺激的な感覚的経験を彼らに与えるものである。」(ヨルン)
  • ヨルンは『Living Ornament』(1949)において、建物の外観をその内部構造、つまりスケルトンと混同しているために機能主義者の美学を攻撃している。「人々のスケルトンを見るために、X線を通りに向けているという考えには、誰も気づかないだろう。」(ヨルン)。このような戦略が現代建築を規定した。
  • p. 43.
    • ヨルンの自然の形態論は無機的形態と有機的形態の区別となっていた。無機的形態は構造的に統一されたものであり、機能主義者が建物に求めたものであった。有機的形態は大きな複雑性を示していた。動植物の世界においては外部形態と内部形態は別々のものである。外部形態は気候や外からの攻撃なら内部を保護するものであり、また自分自身を表すものでもある。モダン建築はこの自分自身を表わす機能を失っていた。
  • カウンター機能主義(Counter-Functionalism)
    • ヨルンはルンドベリの影響を受けて、カウンター機能主義(Counter-Functionalism)を定義した。それはアンチ機能主義ではなく、機能主義を弁証法的に逆のものへと展開させることであった。そして、機能とは人間の必要、これを満たす素材の可能性、これを形づくる人間の能力であった。

Return to a Starting Point

  • p. 44.
    • ヨルンはJacques_Couëlle(ジャック・クウェル)(1902-1996)の自然主義には懐疑的であった。かつてヨルンの有機的デザインを推進していたが、今では見方を変え、それは弁証法的なものへとなった。
    • 人間の技術は有機的なものではないが、明らかに人間の機能の産物である。人間は有機的存在でもある。つまり「技術は有機的であり、同時に無機的でもある」(ヨルン)。このことは、人間は彼の創造性を通して、自然の特別な一片、新種の有機体と新種の動物になるという認識を要求する。
    • 「クウェルは……人間がただの動物であるということを望んだことが問題であり、一方ル・コルビュジェのような人々は人間はただ動物以上の存在であるということを望んだことが問題であった。ここで、私たちは二つの極端なものの前に立つ。そして発展が生じるのはまさにこの極端なものにおいてであると述べだろう」(ヨルン)。

Cher Van Eyck; Lieber Herr Max Bill

New Names, New Movement

  • p. 46.
    • イマジニスト・バウハウス(International Movement for an Imaginist Bauhaus)
      • イマジニスト・バウハウスの目的は機能主義に反対することであり、特に、Max Bill(マックス・ビル)の新しいバウハウスである、Ulm School of Designに反対していた。マックス・ビルは機能的/美的オブジェクトを一つにするために、インダストリアル・デザインに対する芸術の服従を提案していた。

Jorn's WORK in Progress

Coda:Jorn's Involvement with architecture as Artist and Patron


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*1 ギーディオン『空間・時間・建築 1』 丸善 1969

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Last-modified: 2017-04-07 (金) 22:28:34