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Photourbanism:Planning the City from Above and from Belowのメモ

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アンソニー ヴィドラー(Anthony Vidler)著
(A Companion to the City
Wiley-Blackwell(2002/8/26)
ISBN13:978-0631235781
pp. 35-45. 所収)


  • p. 35.
    • 「写真は都市を航空撮影で示し、ゴシック聖堂の挙葉飾りや彫像を地上まで下ろしてくれた。あらゆる空間的配置が、人には近づきにくくなじみのない線の交差のままに中央収蔵庫に収められる。」*1
    • 航空写真はその始まりから、すぐさま“現実”に関する道具と超現実(surreal)に関する作用物として機能し、ますます計画者の2重の欲望──ユートピア的でプロジェクト的──の特権的な器具として機能した。この視点は、地面から完全に間隔が置かれているが、必然的に写真媒体に固有の自然な”距離”を増大させる傾向があり、従ってその見せ掛けの客観性、そしてもちろん、頑強で手に負えない個人、あるいは社会的主体をもたないその固有の操作可能性を増大させる傾向があった。
    • カメラはその実質的効果により、上空からの眺めに抵抗する主要な器具となり、そしてAtget(アジェ)(1857-1927)が1929年代に再発見した後の街路の写真における建物は、ますます“地上”の眺めでもってプランナーの航空写真に対抗する。この写真は急進派と懐古趣味者によるのもであり、彼らは歴史的、社会的文脈を認識するための都市計画の芸術を求めていた。
  • p. 36.
    • コルビュジェと飛行機
      • もし、『建築をめざして』において、ドゥラージュ(Delage)の自動車がパルテノンのモダンな相当物だったとすると、飛行機は新しい家のコンセプトのためのモデルとして表わされた。「私は建築の視点に立ちながら、飛行機の発明者の精神状態に身をおいてみる」*2。従って、『レスプリ・ヌーヴォー』2号における『メゾン・ヴォアザン(Maisons Voisin)』の提示となる(それは自動車のようなシトロアン型住宅』ではなく、飛行機の製造メーカーによって、同じ原理で作られた家であった)。
      • 「飛行機の教えは創り出された形にはなく、それゆえ、まず飛行機に鳥や蜻蛉を見ないで、飛ぶための機械を見ることを学ばなければならない。飛行機の教えは、問題の表明とその実現の成功とを統御する論理にある。問題が設定されるとき、われわれの時代ではその解答は容易に見出される。家の問題は設定されていない。」*3
      • コルビュジェの狙いは「建築を同時代的な生産の条件に組み込むところにある*4」。そしてその条件は、消費には欠かせない広告を含んでいる。
  • p. 37.
    • コルビュジェの都市計画の展開において、飛行機がカメラ、望遠鏡、顕微鏡と同等の視覚的な装置として明らかにすることが、飛行機を重要にしている。もしコルビュジェにとって、写真が建築の単なる“記録”以上のものであったならば、プランナーの眼に現れる航空写真は都市の形状の鍵とであった。ここでは一種のカメラ・オブスキュラとして建物自体が想定されるかもしれない。このカメラ・オブスキュラをとおして、周囲のランドスケープを見るのである。
  • p. 38.
    • 航空写真は今では戦いの道具であり、都市空間の適切な性質への取り組みにおける正当な提案としてある。コルビュジェにとって、航空写真は単に現実の全体を明らかにし、地上面からは見えないものを示し、決定的に超過密の事例を明示する。そしてコルビュジェは、再開発のためのプランと再開発区域との同じスケールでの上空からの眺めの並置する。
    • 1914-18年に航空写真が独自のものになったのは、偵察の装置としてだった。戦争が徐々に高度になるにつれて、空爆と空中査察が不可分に結びづけられるようになった。
  • pp. 38-39.
    • 軍隊と都市の組み合わせは、『輝く都市』においてコルビュジェによって確立された。プランにおいて戦争のイデオロギーを踏まえることで、『輝く都市』それ自体は単に空中から考えられるだけではなく、空襲時の生存性を視野に入れて考えられた。それは1930年代において次第に高まっていた危険として感じられていた。コルビュジェは『輝く都市』を防御可能な空間、空襲から防御可能なものとして論じている。爆撃に対し少ない表面を見せているの細い帯状の建物、シェルターのような防護を提供するコンクリートの平屋根、毒ガスに対する防御をしている空調とピロティの立面、爆弾が害を及ぼさずに落ちるであろう広々とした公園用地によって、『輝く都市』は唯一の都市、“空中戦で勝利を収めることができる”*5都市となるだろう。
  • p 39.
    • 南アメリカでのコルビュジェの経験は決定的だった。彼の2度目の重要な飛行経験は1929年のブエノス・アイレス-パラグアイ間でのことであり、パイロットはJean Mermoz(ジャン・メルモーズ)(1901-1936)とSaint-Exupéry(サン=テグジュペリ)(1900-1944)であった。コルビュジェはそのスペクタクルが“宇宙的”であると記した。この光景が興味深いアナロジーを生じさせた。「地球は落し卵に似て、球形の流動体の回りに、皺の寄った外皮が覆っているのである。」、「落し卵と同様に地球は、その表面は水に覆われ、その水は不断に蒸発と凝結作用を行っている。」*6、「落し卵は、我々を憂うつに、また絶望そのものへと向かわせる。「落し卵」ノイローゼがあるのではないかと思われる。卵を、腐るまで待ってみる。」*7
    • コルビュジェはサン=テグジュペリから「今では飛行機は、地面から12,000フィート、30,000フィーとの高さから見下ろすことができる眼を人間に与えている」と言われ、次のように答えた。「長年、私は地面から30,000フィートの高さにある眼を使っている」。→建築家は新しい眼を持っていた。つまり人間の頭に移植された鳥の眼である。合理的な知性が分析、比較、推論による認識に関して得ているものが、突然、眼にとっての完全で直接的な経験の事柄となった。見ることとは、単に頭脳で思いつくことよりも、言いようがないくらい強力な知覚の様態である。
    • 穏やかで純化した高度1,000メートルでの旅行の効果は、コルビュジェが“人間的視覚(human visions)”と呼ぶものを下支えした。それは、汽車や自動車からの、穏やかな思索の必要性にほとんど無関心な見ることの状態からの“非人間的で凄まじくも騒然とした視覚(infernal visions)”とは対照的であった。そして、コルビュジェは「私は見る(、、)という条件を満たした時にのみそこに存在しているのである。」*8と結論づけた。
  • p. 40.
    • 南アメリカよりもとりわけアルジェリアにおいて、コルビュジェの上空からの眺めは単にサーヴェイする眼(surveying eye)であるだけでなく、監視する眼(surveillance eye)でもあった。『輝く都市』から『四つの交通路』まで、1935年から1945年まで、コルビュジェはヨーロッパと世界のプランニングを網羅するために植民地的/領土的/航空的視覚をますます拡大していった。それはその過程で政治社会学者のハンス・スパイア(Hans Speier)が“Magic Geography"と称するものを作り出していた。
    • 戦闘の終結と1942-45の軍事偵察によって推し進められたテクノロジーの大きな進歩により、上空からの眺めはプランニングの中心的な道具としての制度化されるようになった。フランスにおいては、主にポール=アンリ・ションバール・ド・ローヴェ(Paul-Henry Chombart de Lauwe)(1913-1998)の尽力によるものであった。「現代の視覚としての世界の空からの眺め」(ションバール・ド・ローヴ)。
    • ションバール・ド・ローヴェが編集した本『発見された航空の世界』の中でミシェル・パレント(Michel Parent)は次のように述べている。
      • 「ル・コルビュジェ──建築、未来の都市計画の偉大な空想家──は、ここ20年間、私たちをこのような研究に向かわせている。主要な芸術の統合である3次元の建築において、全ての彼のスローガンは航空写真に由来するドローイングのなかに表現されている。巨大な行政区域のテラスからの眺めに起源がある航空写真は、日常の都市の光景になることを求められた。そしてなんと言われようとも、この光景は決して失望といったものではない。」(ミシェル・パレント)
  • p. 41.
    • 全体としての領域を見捨てて、パリに対しションバールは、1958年以降のシチュアシオニスト達に大きな影響を与えた研究において、物理的環境の資料としてだけではなく社会プロセスの資料としての最良の形式のひとつは、空中からの調査であるということを見出した。
      • 「社会空間の研究において、その詳細な説明の重要な部分は、航空写真と地図資料に結び付けられている。地図との比較による空中調査と研究は、社会空間の表現だけではなくあるプロセスの研究を可能にする。」(ションバール・ド・ローヴ)
      • ションバールにとって、都市の航空写真はその社会空間を生み出す統合的光景の唯一の手段である。

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*1 ジークフリート・クラカウアー「写真」『大衆の装飾』 法政大学出版局 1996
*2 ル・コルビュジェ‐ソーニエ『建築へ』 中央公論美術出版 2011
*3 Ibid.
*4 ビアトリス・コロミーナ『マスメディアとしての近代建築』 鹿島出版会 1996
*5 Le Corbusier『The Radiant City』。この本は日本語訳のSD選書『輝く都市』坂倉準三訳とは異なる。
*6 ル・コルビュジェ『プレシジョン(上)』 鹿島出版会 SD選書 1984
*7 Ibid.
*8 Ibid.

添付ファイル: filea_companion_to_the_city.jpg 38件 [詳細]

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Last-modified: 2017-04-07 (金) 23:34:43