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Sitely Windows:Robert Smithson's Architectural Criticismのメモ

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マーク・リンダー(Mark Linder) 著,
(Assemblage, No. 39 (Aug. 1999),
The MIT Press,
pp. 6-35. 所収)


  • p. 7
    • 1960年代の初め、コーリン・ロウ 、クレメント・グリーンバーグ、ドナルド・ジャッド、マイケル・フリードはそれぞれ、空虚なフレーム化された表面(壁あるいはキャンバス)の形式のアイロニーを研究していた。→窓/壁/像を再結合させることで、壁の中の窓としての絵画というアルベルティ主義的修辞を再発明しようと試みていた。
  • p. 8.
    • スミッソンの“リテラリスト”の芸術家仲間と同じように、スミッソンは1960年代の初めから建築について興味を持ち始めた。そして建築への関心が文章や作品に含まれるようになった。→芸術のオリジナルの形式(ノンサイト)を考え出しただけではなく、建築批判の新しいモデルを導入した。
    • 1966年頃スミッソンは、ダラス・フォートワース空港の初期計画とデザインの責任を持っていた会社のひとつ、TAMS(Tippetts-Abbett-McCarthy-Stratton)にアドバイスを与える立場の仕事をした。→サイトへの関心。
    • スミッソンの文章と作品は、特にグリーンバーグとフリードの当時有力な絵画的形式主義において排除され抑圧されている空間的なアイデアを描き出していた。
  • p. 9.
    • 1966年の文章『The Crystal Land』でスミッソンは、結晶の反復という観点からニュージャージーの郊外の建築、ランドスケープ、インフラストラクチャーを描写した。
    • スミッソンはあらゆるところで結晶に出会った。アイスクリームの中の氷、カーラジオの並んだボタン、壁の四角いタイル。→ダリの偏執症的批判法
    • 結晶構造の抽象的建築だけでなく工場などの普通の建物はロバート・モリスのデザインのようであり、また、ニューヨークのスカイラインと高圧送電線の鉄塔は採石場の崖と並置された。
    • スミッソンによる自身の手法の変遷の説明:未加工の結晶の規模の取り扱い→世界の上に線とグリッドを描く→未加工の素材に回帰するノンサイト。ここは抽象的な格子が未加工の素材を包み込んでいる場である。
    • スミッソン→(qwq)「私はグリッドと平面と空っぽの表面を扱っていた。結晶構造の形態は地図化を指し示していた。……言い換えると、もし私たちが抽象絵画のことを、例えばアグネス・マーティン(Agnes Martin)の絵のことについて考えると、その中にいかなる国でもない地図のようなある種のグリッドがそこにはある。……そのため私は、一種の物質(physical matter)の心理的構築物としてグリッドを見始めた。そして物質(physical)への私の関心は大きくなり始めた。」
  • p. 10.
    • スミッソンの論文『Entropy and the New Monuments』(1966)→「サイエンス・フィクションにおいて見出される多くの建築的コンセプトは、サイエンスあるいはフィクションには関係がない。その代わり、それらは新しい種類のモニュメンタリティを提示する。そのモニュメンタリティは今日の幾人かの芸術家の目的と多分に共通している。」
    • スミッソンが指摘した新しいモニュメンタリティとしての現代建築のイメージ→郊外のスラム、アーバンスプロール 、無数の住宅開発、ディスカウント施設と想像性のない安売り店のファサード、映画のシリーズ作のような新しい映画館の現代インテリア建築。
    • これらの最も典型の建築は冷たいガラスの箱として知られる(SOM)の『Union Carbide Building』→巨大なロビー、光沢のある壁、高い天井は不気味な墓のような雰囲気の場所。圧倒的な何か壮大で空虚な場所。。質としての価値を持たないこの種の建築は、どちらかといえば現実である。この平凡な一連の建築(ダン・フレイヴィン(Dan Flavin)がそう呼んだ)から、私たちは“純粋であり観念主義的”という一般的主張が存在しない、物質的(physical)現実のはっきりとした知覚を得ることができる。
      • 1964年、『Enantiomorphic Chambers』(鏡像体の部屋)→分割され反転させられた消失点。美学的な象徴、建築的な問題としてアルベルティ主義の修辞の表象再現と空間の可能性の再確認。
    • 1967年の終わり、あるいは1968年の初め、ノンサイトの考案→「3次元の論理的図像。それは抽象的であり、その上、実際のサイトを表象している。」(スミッソン)
  • p. 11.
    • 「私は、部屋の空間の外側への拡張と遠隔の感覚、これを捉えることに興味をもった。私の作品の経験は室内と屋外の両方で起こる。私はあの空港の計画の結果として、アースワークに関心を持った。ノンサイトは、大規模なアースワークを空港の境界の外側に据えることに関しての、私の考えの結果として現れた。そのとき私は、どのようにしてそれを中心へと送ることができるのだろうかと、考えた。ターミナルはそこにあり、その上そこは、あちらにあるこれらのものがあるという証拠がなかった。それで、私はそこにテレビを置き、これらのものをテレビへと送信することを思いついた。望遠鏡である。それは一種の世界のミニチュアであり、地図に対する私の関心に当てはまった。また、収斂する線、両極性は3次元の物質的(physical)なパースペクティブへの興味へと通じていた。」(スミッソン)
    • 『Non-Sites』
      • 僻地あるいは末端の地域内の実際のサイトが表わされた。
      • 三つの部分から構成されていた。
        1. サイトの文書(地図、写真、説明文)
        2. サイトの鉱物(砂、岩、スラグ)
        3. 標本を入れる区分けされた容器→サイトにおけるそれらの位置のインデックスとして機能する。
      • まず、スミッソンはサイトを選んだ。このサイトは自らの記憶に基づくものであり、地理学的、地質学的調査によって捕捉された。彼はサイトへ旅行し、標本を集め、それを容器に収めた。そして最後に、空っぽのギャラリーの壁と床に設置した。
    • “non-site”のsiteにはsightの意味もこめられている。すなわち最終的には建築の効果を完全な消去を獲得する、グリーンバーグとフリードの批判における純粋視覚。
    • 1968年のテキスト『A Provisional Theory of Non-Sites』のなかで、スミッソンは“ノンサイト”について説明している。→「ダイアグラム、住宅の平面図、サイトの位置する市街地図、あるいは地勢図を描くことよって、人は「論理的な2次元の絵画」を描く。「論理的な絵画」はそれが表しているもののようにはめったに見えないという点において、自然主義、現実主義の絵画とは異なる。それは2次元のアナロジーあるいはメタファーである──AはZである。」、「 ノンサイト(屋内のアースワーク)は抽象的な3次元の論理的な絵画であり、しかもそれは実際のサイトを表している。」
  • p. 12.
    ノンサイトは文字通りの垂直で水平な"窓”の再構造化として理解され、それは絵画よりも地図、視覚的であるよりも素材的で、絵画的であるよりもダイアグラム的であった。そして彫刻的であることと同様に建築的であった。
    • 原注29→スミッソンは、読解可能なダイアグラムから離れ特にイリュージョンの技術へと向かうものとしてのモダン絵画を説明するグリーンバーグに対して、反撃していたのかもしれない。「一九二〇年代と一九三〇年代の抽象絵画と準-抽象絵画における三次元空間は、「幾何学的図形(ダイアグラム)」と連想との問題であった。一九四〇年代と一九五〇年代の絵画的なものにおいては、それは再びトロンプ・ルイユのイリュージョン、大気によるイリュージョンにより近いものになった。それがより深く(、、、、)なっていったというのではなく──全くそうではなくて──より触知できる、いわばより直接的に知覚するものになり、「読み取る」という構造が少なくなったのである」*1
    • スミッソンの興味は絵画としてのメタファーにあったのではなく、建築的ディテールとしてのメタファーであった。そのディテールとは線と文字、テキストとイメージ、空間と時間、芸術と建築、芸術と批評をある種の“建物(building)”へと潜在的に結合することであった。彼はノンサイトを建築として考えていた。「その意味で私のノンサイトは部屋の中にある部屋である。」(スミッソン)
    • グリーンバーグにおいて、空間は絵画的イリュージョンを通じて表象される。スミッソンのノンサイトにおいて、空間は言語論的、形式的構造の問題である。ノンサイトの窓-構造はパースペクティヴを引き起こす。しかし絵画的なものではない。むしろ「絵のように見えない3次元の絵画」(スミッソン)である。
    • グリンバーグと同様にアルベルティにとっても絵画的な窓は、パースペクティヴ、フレーミング、平面性を通じて内部(inside)と外部(outside)をつなぐもの。ノンサイトはよりスペシフィックで、より抽象的に、郊外(実際のサイト)とインテリア(ギャラリー)をつなぐものである。
    • 「そこにはノンサイトである中心的焦点がある。サイトは焦点が合っていない周辺である。そこでは、あなたの精神(mind)は、言わばサイトの境界、広大な広がりの感覚を見失っている。……あなたをどこかに連れ出すのはこの地図であるが、しかしあなたが到着したとき、あなたがどこにいるのかを、あなたは本当に知ることはできないだろう。ある意味で、ノンサイトはシステムの中心であり、そしてサイト自身は末端あるいは縁である。」(スミッソン)
  • p. 13.
    • ノンサイトという考えは、初期のダラス・フォートワース空港や鏡像の彫刻にも見られるが、より洗練されたものとして“ノンサイト”が考案された。
    • サイトとノンサイトの弁証法は「メタフォリカルな意味の空間」を作り出す。「それは、この空間の“旅行”は広大なメタファーである、ということを実現した。2つのサイトの間のすべてのものは物質的(physical)でメタフォリカルな素材(material)になるだろう。この素材は自然な意味と現実的前提を欠いている。」(スミッソン)
      • スミッソンはノンサイトの空間を“フィクション的”と見なしていた。そして、それを絵画の“自然的”、“現実的”、“神話的”空間と対立させた。
      • フィクション的な空間について→論文『The Crystal Land』、『The Iconograpthy of Desolation』、『The Shape and the Future of Memory』
      • スミッソンは、驚くほど包括的で奇妙なフィクションの世界を描き出す、前提とされ、あるいはよく知られた情報のカテゴリーを越えて、文字通りの関係(connection)を作り出した。
    • スミッソンの論文『Quasi-Infinities and the Waning of Space(準─無限と空間の衰退)』(1966)
      • 注意深くデザインされた4つのページ。ページの中央にテキストが配置され、その周りに注釈がある。この注釈はテキストの外側への窓として、そしてテキストの内側への窓として機能している。
    • Leo Steinberg(レオ・スタインバーグ)(1920-)はMOMAで“平台型絵画平面(the flatbed picture plane)”について講演している。
      • ラウシェンバーグとウォーホルを例にしながら、表象再現の新しい方法としての平台型絵画平面について説明した。
      • 新しい方法はアルベルティ主義絵画の人間主義的暗示(sight)を放棄した。一種の“窓”としての壁の上にあるアルベルティ主義絵画は、私たちの身体と提示される自然の眺めに向かい合っている。これらは水平な台に置き換えられた。この台は印刷機のように備え付けられ、再生産された文化的イメージと情報(site)を受け取る。
      • スタインバーグの最終的な主張とは、平台型絵画平面は「芸術の主題における根本的な転換、自然から文化への転換」を告げているということである。このことは、スミッソンの考えと実践に親近性がある。
  • p. 15.
    • スタインバーグは、モダニストの抽象以前のもの、そしてキャンバスの平面性の強調、人間主義の図像は世界をインテリアの空間として表現すると論じている。ここにおいて、人は「出入口あるいは窓からの眺めを、枠入りの絵画と一緒に並べ、それに続けて、反射で満たされた鏡と並べる」(スタインバーグ)だろう。
      • 垂直の絵画平面における3つのもの→窓からの眺め、枠、鏡の像。
      • 窓からの眺めは絵画平面の背後にあり、枠は絵画平面をまとめあげるものであり、そして鏡の像は絵画平面の手前に出現する。
      • モダニストの絵画の考えは、かつてのこの3つの可能なものをひとつのものに還元することであり、絵画の目的の中から世界の表象再現を追い払うことであった。
    • 平台型絵画平面→世界の回帰
      • 「ポストモダニスト」の芸術家は「再び世界をその中に存在させる絵画平面……を発明した。それは窓から天気を見るルネサンスの人間の世界ではなく、録音されたメッセージを聞くためにつまみを回す人間の世界である。このメッセージは「今夜の降水確率は10%」というものであり、ある窓のないブースから電子的に送信されたものである。」(スタインバーグ)
    • スミッソンの『Quasi-Infinities』はスタインバーグのモデルを示している。それは窓がないことによってではなく、平台と窓を融合することによってである。
    • 「必要とされていることはひとつの美学的手法である。それは“ビルディング”に関するアントロポロジーと言語論を一つにすることである。……現在の芸術は時代遅れの考え、すなわち、昔の芸術の批評としての芸術に閉じ込められている。……批評は言語として存在し、それ以上のものではない。」(スミッソン)
  • p. 16.
    • 「“絵画”の合理的カテゴリーは“窓”という言葉の視覚的意味から引かれ、そして、“壁”という意味に拡張された。芸術家が彼の芸術を“絵画”という言葉のみで定義したとき、きれいな“表面”としての窓、あるいは壁の透明性は病的になる。……“絵画”は一つの目的ではなく、一つの手段である。ゆえにそれは、言語論的に時代遅れのカテゴリーである。」(スミッソン)
      • スミッソンにとって芸術、エンジニアリング、建築といった分野の統合を妨げているのは言語論的な問題である。
      • 絵画、彫刻、建築のカテゴリーの区別を受け入れる代わりに、スミッソンはそのような言葉を言語論的ディテールとして見ることを選択し、「言語論的な認識がなければ、そこには物理的な認識はない」と主張した。この主張はヴィトゲンシュタイン主義的な「使用法は意味に先立つ」ということである。
    • 「離散的な使用法に気づくとき、美的コミュニケーションのシンタックスは“建物”と“言語”の双方に関連のある特徴を明らかにする。両者はコミュニケーションの生の素材であり、そして“偶然(chance)”──歴史的な先入観ではない──に基づいている。」(スミッソン)
    • スミッソンのある種の建材としての言葉の取り扱いは『哲学探究』の冒頭近くにある大工の寓話を思い出させる。*2
    • スミッソンの批評的アプローチはStanley Cavell(スタンリー・カベル)(1926-)の日常言語の哲学ヴィジョンに似ている。スミッソンの文章はカベルが「哲学的批評──一方にとって、他方を反証することが要領を得ない場における批評」と称したものを例証するものである。
      • 「批評家は次のように言うだろう。これが私の知っていることだ。理性──さまざまな環境における、明確な理性のための、明確な点──が終わる。……その芸術家としての、批評家の問題は彼の主観性を無視することではなく、それを含むことである。つまり、議論においてそれに打ち勝つことではなく、模範となる方法でそれを支配することである。そのとき、彼の作品は流行や特定の時代の議論よりも長く生きる。それこそがその美である。」(カベル『Aesthetic problems of modern philosophy』)
    • スミッソンは日常言語の哲学を日常的な人工物の芸術的使用へと拡張した。つまり、見慣れたものの中に驚くべき結果を見出すということである。
  • p 17.
    • 「“壁”あるいは“窓”の言語論的意味は、合理的内容が空っぽにされたとき、表面と線になる。現代都市において最も一般的なタイプの窓は、透明ガラスの窓枠を支えている単純なグリッドシステムから構成されている。“ガラスの壁”は多くの標準的な店舗やオフィスビルの一部である。透明なガラスを強調することで、私たちは構造の全体的な結晶の意識に到達している。そして“絵画”という凝固した継ぎ接ぎの自然的ディテールを避けている。キャンバス-枠(canvas-pane)の上に画家が置いた有機的な形態は、新しい言語論的意味と視覚的結果のセットを発展させる意識によって、取り除かれそして置き換えられる。」(スミッソン)
    • 「“彫刻”はそれがフィギュラティブではないとき、建築的ディテールによってまたもや条件づけられる。床、壁、窓、そして天井は内部の彫刻の境界を定める。多くの新しい彫刻は非常に広い部屋に置かれることでスケールを獲得する。……現代のミュージアムの壁は、それらの近くあるいは上に病的なディテール(絵画)がある壁として存在する必要がない。そのかわりに、芸術家は表面と線のトータルネットワークとしてインテリアを定義することができるだろう。」(スミッソン)
    • 「精確な設置を通して、アートオブジェクトはほとんど消える。……この経験は“窓”あるいは“壁”のような建築的ディテールを模倣してはいるのではなく、代わりに心的で物質的な構造を明らかにしている……それは私たちが理解しているアートオブジェクトではなく、サイト全体である」(スミッソン)

    • Enantiomorphic Chambers』→眼の外的な抽象化の構築の試み。それは文字どおりの地図化のようであり、視覚の領域に入って行くことのようである。それは身体の外にある一揃いの眼のようである。スミッソンの目的は視覚の非人格化の提案、あるいは2つの異質な眼の実際の構造を作ることである。
  • p. 19.    ↓
    • 「ある種の立体幻灯機のような状況──人工的な眼──は……知覚の観念論的な考えとういよりも、知覚内部のより一層さまざまな崩壊へと逸脱する地点を……確立する。……私はそれら心的経験の光景におけるゼロ化に興味がある。そして、この心的経験はいくらか物質的(physical)世界と一致する。」(スミッソン)
  • p. 22.
    • 「芸術は今日、もはや建築的な結果論、あるいは建物が完成した後にそれにくっついている物ではない。むしろ地面から上昇し、空から下降したところからのビルディングプロセスへの全面的な関与である。」(スミッソン『Arial Art』1961)
    • ダラス・フォートワース空港ではTAMSの建築家Walther Prokosch(ワルター・プロクシュ)らと協働していた。
      • 「彼らは私に全ての作った地図素材を提供してくれ、そして私たちは興味深い議論をした。私は可能な空港の模型を作った。しかし、私は建物の実際の構造への興味が次第に少なくなり、そして建設プロセスのあらゆるさまざまな準備的な工学技術、土のサンプルを採取するためのボーリングの穴のようなもの……、への興味が増した。そう私は建物の準備的な側面に興味があった。」(スミッソン)
  • p. 23.
    • 「自然主義と現実主義の古いランドスケープは、抽象と人工物の新しいランドスケープに取り替えられるだろう。」(スミッソン『Arial Art』)
    • ダラス・フォートワース空港のターミナルビルディング→中心に位置し、周囲の土地と関係している(鉄道、周囲のフェンス、駐車場など)。同じようにノンサイトもこれらと関係している。
      • 「滑走路のまっすぐなラインは、私たちの自然の概念に侵入する“パースペクティブ”の知覚を生じさせる。……ランドスケープは田舎の庭園よりも3次元の地図のように見えはじめる。……建物の合理的な構造は非合理的な見せ掛けの中へと消えてなくなり、光学的な幻影の中に投げ込まれる。……ターミナル複合施設は、これらの航空のサイトが位置している場所についての視覚的情報を提供するギャラリー(あるいは航空ミュージアム)を含んでいるかもしれない。建設中のプロジェクトのダイアグラム、地図、写真、そして動画は展示されることもありうる。──このようにターミナル複合施設と飛行場のサイト全体は、ターミナル自体の中心の空間から飛行場の境界へと拡張できるだろう。」(スミッソン『Arial Art』)
  • pp. 26-27.
    • 「30年代のウルトラモダンはモダニストの“歴史的”な現実主義と自然主義を超えており、また“絵画、彫刻そして建築といったアヴァンギャルドのカテゴリーを回避している。」(スミッソン)
    • スミッソンはセントラルパークの西にある1930年代のアールデコの窓について述べている。「過激な(ultra)窓を通しての過激論者(ultraist)の眺め」とスミッソンが定義づけるものは、スタインバーグの「絵画平面のための3つの役割リスト」(窓/絵/鏡)の再構成である。実際、スミッソンはこの新しい“美学的手法”を1930年代の建築の窓、鏡、積まれたレンガに適用した。
      • 「オリジナリティではなく反復が目的である。“鏡”が最も広く使用された30年代の素材であることと、建物のファサードが無数のレンガのヴァリエーションを持つことは偶然ではない。反復と連続の秩序はその典型的時代の建物を通して常に作動していた。」(スミッソン)
      • 「窓は私たちに、逃走と監禁の両方を示唆することで、私たちが部屋の捕虜であるということを思い出させる。いくつかの窓を持っているジッグラト化された枠組みは窓に対すつ鋭い意識を示している──物自体。このことは機能以外の意味を持たないインターナショナルスタイルとは正反対である。」(スミッソン)
      • 「“窓”と“鏡”は同じ要素をひそかに共有している。窓は何も含んでいない。一方で鏡は全てを含んでいる。それら両方について考えてみよ。あなたはそれら2重の独自性から逃れることが不可能だとわかるだろう。“過激な窓(ultra window)”は超モダニズムの“見物人(sight-seer)”のための優先的な目印である。その窓は開きそして閉じた空間として2重化しており、そしてことは30年代の建築で加速されている。」(スミッソン)

        GG Lab. by GGAO

*1 クレメント・グリーンバーグ『グリーンバーグ批評選集』勁草書房 2005
*2 原注52 ウィトゲンシュタインの『哲学探求』(2~21)は“部族”を描いている有名な寓話から始まる。“部族”の持つ“言語のすべて”は“ブロック”、“ピラー”、“プレート”、“ビーム”という語だけを持つ。少し後のパラグラフにおいて、このような原始的な言語はたぶん言語のすべてであるという彼の考えを支えるために、ウィトゲンシュタインは「「意味」という単語が使われる──すべての(、、、、)場合ではないにしても──ほとんどの(、、、、、)場合、この単語はつぎのように説明できる。単語の意味とは、言語におけるその使われ方である」という主張を導入する。 参考:ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン『哲学探求』 岩波書店 2013,ISBN-13:978-4000240413。→「2 意味という、あの哲学の概念が生まれるのは、言語がどのように働くのかを、プリミティブに想像しているからだ。いや、「私たちの言語よりプリミティブな言語を想像しているからです」とも言えるだろう。アウグスティヌスが説明したような言語を、想像してみよう。それは、棟梁Aと見習いBのコミュニケーションに役立つような言語である。棟梁が石材で建物を建てる。石材は、「ブロック」、「ピラー」、「プレート」、「ビーム」だ。Bが石材を手渡すことになっている。それも、Aが必要とする順番で手渡さなければならない。この目的のために、ふたりは、「ブロック」、「ピラー」、「プレート」、「ビーム」という単語でできた言語を使う。Aがある単語を叫べば、──それを聞いたBは、その単語に対応する石材をもってくるように学習している。──これを、完全なプリミティブ言語だと考えてもらいたい。」(pp. 8-9.)。「43 「意味」という単語が使われる──すべての(、、、、)場合ではないにしても──ほとんどの(、、、、、)場合、この単語はつぎのように説明できる。単語の意味とは、言語におけるその使われ方である、と。そして名前の意味は、ときには、その名前のにない手(、、、、)を指さすことによって説明されることもある。」(p. 42.)

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Last-modified: 2017-04-07 (金) 23:42:20