Stim and Dross:Rethinking the Metropolisのメモ †
ラース・ラアップ(Lars Lerup) 著
(After the City,
The MIT Press(2001),
ISBN13:978-0262621571,
pp. 47-63.所収)
- p. 47.
- Stim(スティム)
Stimulationと同じ(ウィリアム・ギブスンの『モナリザ・オーヴァドライヴ』*1)
Stimme(シュティメ)*2:声、Stimmung(シュティムング)*3:雰囲気。
- Dross(ドロス)
1.廃棄物、あるいは溶融精錬時の溶けた金属の表面に形成される不純物。
2.貴重品あるいは価値とは対照的に役に立たないものである、屑。
- 再考
視点を変えること、新しい語彙を見つけること。
- メトロポリス
定義なし。
Houston, 28th Floor. At the Window †
- p. 48.
- ヒューストンの28階の窓から外を眺める。
- 運動性と一時性によって主に構成された都市において、空間はほとんど変形と速度であり、絶えず前方が開拓され、後方が破棄される。
- ポスト・コルビュジェ主義の主体はベンヤミンの新しい天使(「この嵐が彼を、背を向けている未来の方へ引き留めがたく押し流してゆき、その間にも彼の眼前では、瓦礫の山が積み上がって天にも届かんばかりである。私たちが進歩と呼んでいるもの、それがこの嵐なのだ。*4」)と全ジェンダーとして特徴づけられた漂流者との複雑な合成物として現われる。この漂流者はデュシャンの階段を降りている未来派的な像(とその後の独身者)、そして関心をもたれていないにもかかわらずまだ繋がれているメトロポリスのハイウェィを車で走っているドライバーを包み込む主観性を持つ。
- 「私は一種の郊外建築、つまり単純な箱の建物、ショッピングセンター、そういうもののスプロールにも興味があった。そして、私のローマへの、こういうものの蓄積、この歴史のがらくたの山へのこれまでの関心において、これが私を魅了してきたものであると考えている。しかしここで、私たちは消費社会に直面している。パセーイクは永遠の都市としてのローマに取って代わっているのだろうか?と『The Monuments of Passaic』において述べた文章があるもの分かっている。」(ロバート・スミッソン)
Megashape †
- p. 49.
- ヒューストンの28階の窓から外を眺めると、2つの巨大な形状(megashape)がある。ひとつは、the zoohemic canopy であり、さまざまな種類、大きさ、成熟度の無数の木々から作られている。もうひとつはダウンタウンであり、摩天楼の密な集まりによって作られている。これらの形状は共に反復に依存しており、一方は多数の小さな要素からなり、他方は大きな要素のかなり小さな集合からなる。また両者共、規模と速度の転換と歪みを通して理解される。
- 巨大な形状(megashape)を内側から見ると、それは断片を通じて想像され、したがって完結を求めない。また外側から見ると、全体性の認識と同様のより伝統的なパースペクティヴが求められる。
The Plane, the Riders, and Air Space †
- p. 50.
- ヒューストンは特異な惑星である。ここでは空間は、ヨーロッパ的な意味においては不十分で、存在すらしない。それを定義づけるための海も防壁もなく、航行するための斑な平面だけからなっている。滑らかで、起伏し、急変する状態になることで、この表面の媒体は終わりなく現れる。この平面は未加工で荒涼としており、裂け目、空っぽの空間、手のつけられていない平地によって印付けられている。そして、ロバート・スミッソンがニュージャージーで見出したものによって適切に描き出される。「パセーイクはニューヨーク市と比較すると“穴”で満ちているようだ。ニューヨーク市はしっかりと詰め込まれ凝縮されているようだ。そしてパセーイクのそれらの穴は、 難無く未来の見捨てられたセットの記憶-痕跡を定義する、……モニュメンタルな空虚である。」(ロバート・スミッソン)
- その平面は、特に進行中の闘争、自然に対する経済の闘争という感覚によって支配された表面である。この表面の木々と機械の双方はその闘争の試みと廃棄物として現れる。
Oceanic Grammar †
- p. 55.
- 歩行者は、念入りに古い都市の街区の周囲に線を引くが、動くものそして固定しているものに関して疑念を持たない。ヒューストンにおいて疾走する車は、己自身を決して形作られることのなく、果てしなく展開し、後方が消えうせる一方で前方に現れる空間へと投影する。……これは航海の空間であり、果てしなく現れ、決して厳密に同じものではなく、固形であるよりもむしろ液体であり、精密であるよりも近似であり、またそれは眼や足のみを通じてではなく身体全体によって感じられるという点で、視覚的のみならず生理的である。この液体的な空間において身体は、その軌道によって宙吊りにされ、拘束され、そして駆り立てられる。
Stimulator †
- p. 60.
- 仲間が芸術パトロンの宴会に私たちを招待した。……私たちはの目的は、壮麗な建築的遠近法、さまざまな付属物(注意を引く装飾、風変わりな家具、落ち着いた音楽)、そしてパーティー自体のうっとりさせる魅力によって支えられた驚異の家とファンタジーである。……その家はシエナのミニチュア化である。それはまったくシエナによらず、密生するスティム(stim)自体の真正性を選択して、あらゆる類推を脅かす驚異の多層的混合をによってなされる。……結局、シエナの断片は、都市、通り、広場、壁、あるいは都市国家とその文化によってではなく、場所において保持される。スティムは位置をずらされることで、都市の大洋の中に浮遊させられるが、同時に時間の中で宙吊りにされ、そして文脈から離れる。……光が弱められるとき、招待客とサービス係は去っていき、スティムは消され、そして家とその居住者は散らかった都市の床の上の単なるドロス(dross)である。実際、光と闇は密接不可分である。電脳空間のように、機械的、電子的、そして生物学的といったあらゆる種類の技術と装置によって、スティムは場所に固定されている。
Stimdross †
- p. 61.
- メトロポリスは、暴風雨の間、数千の同心円状の波紋によって跡をつけられた湖の表面ように、都市のリズミカルなサイクルの間、断続的に点滅する無数のスティムによって攻めたてられている。
- 大都市の生活はこれらのスティムに集中させられており、そして、まるで私たちの生活がそれらに依存しているように、私たちは生きている。